パリ散策

2. ノートルダム大聖堂(パリ・4区)


カテドラル・ノートルダム・ドゥ・パリ

ノートルダム正面(工事中)

フランス語で「ノートル」"NOTRE"とは、「私たちの」という意味、「ダム」"DAME"は、「婦人」さらに「貴婦人、女王」を指す。これを合わせて「ノートル・ダム」とすると「聖母」を意味し、このカテドラルは「聖母に捧げられた大聖堂」というわけである。辞書によると、このノートルダム大聖堂は、1163年に司教モーリス・ド・シェリの指揮のもと新たにゴシック様式で着工されたもの、とある。すでに800年以上も前からパリの中心に腰を下ろし、パリの美しい街並みの中にあってもその華麗な姿がひときわ際だつこのノートルダムは、口やかましいフランス人が声をそろえて誇りにする、まさにパリの、いやフランスのシンボルである。晴れあがった空に白く浮かびあがるノートルダムは絶景であるが、残念ながら撮影当日は曇りであった。(しかも、工事中・・・でもこれは私のせいではない。)夕日を照り返す、少し赤みがっかた頃合いも息をのむ美しさだが、私のこの腕前で写真に収めろというのは無理難題である。

ノートルダムは、セーヌ川に浮かぶ「シテ島」に建っている。パリのセーヌ川にはこのシテ島の横にもう一つ「サンルイ島」という島が浮かんでいる。このサンルイ島に架かる橋からシテ島を眺めるとちょうどノートルダムの後ろ姿が拝める具合になっている。いつもバスからこの橋の上でノートルダムをバックに写真を撮る人々を眺めていたが、確かにこの角度のノートルダムを撮るには抜群の場所であることが、カメラを構えてから判明した。この後ろ姿はいつまでたっても新鮮な感じがして好きだなと思いながら、よく考えてみると、後方から全体を眺めることができる場所は、この橋の上くらいで、目にする機会が絶対的に少ないことに気づいた。今度引っ越しをして今のバスに乗らなくなったらまたこの後ろ姿を見ることもなくなるだろうと思うと少し寂しい。

すっかり日も落ちてパリに街灯の甘い光が灯る頃、サンミッシェルからセーヌの川岸に降りて正面に浮かぶノートルダムを見上げる。美人は横顔はまたさらに美しい。昼は、近寄りがたいほどの気品漂うこのカテドラルも、夜の闇の中ではなんだか妖しげである。時々、通り過ぎる遊覧船が、この夜の妖しいノートルダムの元に集う恋人たちを照らし出す。やはりパリは「恋人の街」である。私は、このセーヌの川岸の恋人たちと、ノートルダムの横顔とを眺めながら、「本当にパリにいるんだな。」などと一見ばかばかしいようなことを考えていた。私にとっては、ここは夜のシャンゼリゼよりも本当のパリなのだ。私も、結婚前、夫とよくここで限られた二人の時間を過ごした。はっきりと覚えていないが、11時頃に鳴るノートルダムの鐘を聞きいつもシンデレラのような気分で地下鉄に向かったものである。


南側全景
										
南翼廊部バラ窓

南翼廊部

ノートルダムの建つ「シテ島」は、地図を見れば一目瞭然、まさにパリの中心である。また、教会前広場には、「フランス道路ゼロ地点」と書かれた場所がある。フランス地図はここを起点に作成されているらしい。パリばかりではなく、地理上、フランスの中心点でもあるようだ。ゼロ地点の写真を撮ろうと、カメラを取り出したが、しばらくこの広場にも来ることがなかったので正確な場所を忘れてしまっていた。一生懸命下を向いて、探していたらドイツ人らしき団体客(欧米人で団体行動をとるのはドイツ人が多い。やはりお国柄が日本に近いのだろうか。)の固まりが目に付いた。もしやと思い、のぞき込むとおばさんたちがキャーキャーはしゃぎながらゼロ地点の上に立って喜んでいる。代わる代わる次々と新しいおばさんがお立ち台ならぬゼロ地点に上がるのでいつまでたっても終わりそうにない。ため息をつきながら辛抱強く待っていたら、ガイドのフランス人が何やらドイツ語(たぶん)で説明を始めたと思ったら、固まりが移動を始めた。最後に2人、まだ儀式を済ませていなかったおばさんが、ささっと儀式を済ませた後、小走りに団体の方へ去っていった。一体、ガイドはなんと言って説明したのだろう。おばさんたちの様子では、まるで100万円の宝くじがあたるかのようなはしゃぎぶりであった。やはりどの道でも「プロ」とはこのようなものか。などと考えつつ私はカメラを地面に向けた。

なぜ私がどのガイドブックにも必ず載っているこの「ノートル・ダム」をわざわざ選んだかというと、以前フランス語の学校でヴィクトル・ユゴーの「ノートルダム・ドゥ・パリ」を勉強したのがそもそもの原因である。この小説の中では、ノートルダム自体がまるで怪物であるかのように描かれ、ファンタジックな効果をさらに加えている。カジモドがノートルダムの手入れをする様子が描写される一節で私は「ガーゴイル」という言葉に出会った。先生の説明によると、雨樋の役割をする怪物像だという。私はこの口から水を吐く怪物像とやらに会いたくなって早速出かけた。ノートルダム前に立ち見上げる間もなく、数え切れないほどの怪物像が目に飛び込んでくる。よく見るとそれぞれが鳥のようであったり人間のようであったりする。すっかり「ガーゴイル」に恋してしまった私はしばらくノートルダムへ足繁く通い、飽きることなく十人十色のガーゴイルを見ていた。この「ガーゴイル」、日本ではなかなかお目にかかれない。「よし、ではガーゴイル博物館を作ろう」というわけで、このページの作成に至ったわけである。博物館に集めた写真を見ながら、カジモドが掃除している姿など想像していただきたい。

1999年10月8日


ガーゴイル

博物館

ノートルダムの体中から四方八方に突き出しているもの、それが「ガーゴイル」。

建築上は雨樋であるが、ノートルダムのようなゴッシック建築では怪獣を象ったものが多い。

拡大図

このページの写真を撮っているとき、日本人の団体さんに出くわした。ガイドと思われる中年の女性が、ノートルダムについてあれこれ説明をしているので、カメラを構えたままそばにより耳をそばだてた。何やら入り口上部に施された装飾についての説明らしい、と思っていたら今度は「何か怪獣のような物がたくさん突き出していますね。あれ、実は雨樋なんですよ。」とやりだした。団体客の間から「ほ〜」と感嘆の声が挙がる。これはお相伴にあずからねばと思い、端っこのおじさんに背中をぶつけるほど近づいて、さらに耳を痛いほど広げ、目はファインダーを覗かせたまま、全神経を聴覚に集中させた。努力の甲斐あって、いくつか未知の情報が得られた。まず、建築の点では、できるだけ屋根から落ちる水を遠くに落とすため突き出した構造になっているのだそうだ。(これは別に感心するほどの情報でもないが。)また、形状には宗教上の意味が込められており、怪獣の口から流れ出す水が、外に祓い出される悪霊を象徴する一方、それ自体が悪霊の進入を防ぐ鬼瓦的働きをしているのだそうである。最後に「今でも雨が降ると怪獣の口から雨水が流れ落ちます。悪霊の水ですから、かぶらないよう気をつけましょう。」と言って団体客を笑わせるガイドの女性の言葉を背に私は再び撮影の作業に復帰したのであった。

ガーゴイルいろいろ

数えたことはないが(あったら大変である)ノートルダムに設けられたガーゴイルは数百に上ると思われる。それらすべてが同じ形をしているわけではない。よくよく見てみると、形も大きさも驚くほど様々である。間抜けな私はこの撮影の日(撮影というと大げさで少し気恥ずかしいが)めがねを忘れた。少なくとも5、6メートルは離れているガーゴイルの姿など、当然、見えるわけがない。カメラマン失格である、と言っても他に誰もいないので仕方がない。時々カメラのズームを使ったりしながら、見える範囲で、様子の違うガーゴイルを集めたつもりであるが、やはりおいしい被写体をずいぶん撮り逃したように思う。その分は追々追加していこうと思うが、今日のところは今回収穫した物だけで、とりあえず「博物館」の体裁を整えることにする。


上列中央
ここにも人間らしきもの
発見!

左上
ウサギのような耳・・・

左下は鶏?

私の注目度ナンバーワン
人間に見える・・・

手前にいる小さいガーゴイル
見落とし注意!

これぞまさに!
と思うのは私だけ?

豚の鼻?
あっ、くちばしでした。

蛙のようなガーゴイル(上)

小さいガーゴイル
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